サブカル女の死

芸術性の高いもの、いわゆるサブカル味のあるもの、サブカルが好きそうなものに触れると涙が出てくる。

それらが好きだった頃、それらを摂取していた頃、私は若かった。若いことは素晴らしかった。そのことに大多数が気づかないように私も気づかなかった。取り巻く環境も、過去も、不幸だったのだ。

それでも私は夢を見ていた。ひとすじの光があると信じていた。

好きなものに触れていれば、私の糧になり、きっと報われる。このまま好きだと思うもの、心が動くものを幾多と吸収すれば、私のフィルターを通して、スクラップするように自分が好きなものを書けると思っていたし、時が経つにつれ好きなものも増えるものだと思っていた。

歳をとったと思ったのは何故か、簡単だ。離れたのだ。

もっと簡単に生きられるように、好きだったものを、好きだった考える時間を、余計なことと自分から離れ、そのうちに悩むこともなくなった。

かわりに好きなものも無くなった。

何も書きたいと思えなくなった。

少女小説が書きたかった。

今になって、私はもう少女ではない。

年齢なんて脳内じゃどうとでもなる、それでも、少女ではなくなった。

生きる意味を考えることもなくなった。その現状をつまらないとも思わなくなった。

ただ、とてもさみしい。

好きだったものを思い返して触れてみると涙が出るくらいには後悔があるらしい。

さてどうすればいい?

人造少女に成るべきだろうか。

 

ヤンシュバクマイエルのアリスを見ながら

見てないよゲリオン

エヴァンゲリオンに旬なんてないと思ってたけどツイッター見てる限り今が正に!という空気感がムンムン伝わってきてなんか焦ってしまう

わたしはもう少し後で見ると思う

絶対に映画館で見たいということは決まっているからあとは日にちを決めるだけ

 

私のエヴァ知識、序破Qはおそらく見ていてあとはパチンコ、スロットの演出を知っているくらい

オタクとも呼べない履修状況

Qなんて見ても意味分からなかったから雰囲気だけ楽しんだ大分後にYouTubeの解説動画を見た

解釈は色々あると思うけど解説動画見た時全部新鮮な知識だったことにまた驚いたな、何も理解出来ていなかったんだって

 

シンを見ても多分分かんないだろうなって予想してる

でも一発で分かっちゃったらつまらないから少しずつ楽しめるようになってるのかなって思ったり

多分理解出来ないからネタバレも出来ない!

けど見たよ報告以外は発しないように気をつけとかないとね

 

何年後かにエヴァ見返してああ寂しいな、でも映画館行ったんだよなっていう思い出になって行くんだろうな…

 

驚いたのはシン初日、フォロワーのツイートが明らかに少なかったこと

ネタバレ回避のためか、はたまた映画館で楽しんでいるのか…みんな好きなんだなって思いとツイッターに人がいないと寂しいなって

1人になりたかったからネカフェ避難民

旦那との共同生活さえも無理な日になったからネカフェに来て酒飲んでる

家には頓服が沢山あるから飲まないように持ってこなかった

精神が無理になった理由は明確には分からないけれど最近自律神経がバグってるからそのせいだと思う

自律神経の調子が悪いから良くしようと躍起になっていたのかも知れない

神経質になったのに改善されないから何もかも壊したくなったんだと思う

自分のことなのに何も分からない

だから脳が壊れてるんだと思う

精神科通いだけど脳がおかしいから精神科に行ってるんだと思ってる

だって最近悩みないもの

悩みというか持ってる過去が毒親からしょうがない

毒親由来の精神科通いは簡単には治らないって何度も言われているし分かってはいるけれど突然コップの水が溢れるようにダメになる日がある

それが今日だっただけ

ブログ書いてるけど内容はいつものツイートと同じで堂々巡り

酔いに来たのにスミノフ半分で要らなくなっちゃったな

 

頭の整理がしたいけどモヤモヤを明確化したら過去への鬱憤と親への憎悪しか出てこないの分かってる

こんなの分からない方がいいはずなのに

 

結婚して親がイライラする思考回路は分かった

だけど私は理性と信念があるから思いのままに旦那を傷つけたりはしない

酷いこと言いたくなっても自己嫌悪に陥るから止めている

なぜ親は私をサンドバッグのようにストレスを言葉でぶちまけたのだろう

それほど醜くて道徳心のないやつだったのだ

そんな親から生まれたんだよ私は

早く自尊心が欲しい

揺るがない自尊心が

外見にも左右されず性善説を唱えていきたい

性善説、良く分かってないけど

 

良い人になりたいって昔からずっと思ってた

がんばった

だけど親以外にも私を傷つける奴がいて、ああ優しくするだけじゃ赦すだけじゃまた誰かのサンドバッグになるんだなって大人になって気付いた

もうさ良い人になりたいという夢も失われたんだよね

 

どうなりたくもないよ

普通の健康な身体で、ストレスでダメになったりもしなくて、努力しただけ報われるようになりたかった

わたしの努力はマイナスからのスタートだから頑張っても頑張っても報われないんだよ

 

旦那は優しいけれど足りない

私のマイナスは消えない

頑張ったんだよ

ちゃんと働けるようにもなった

でもクレーマーと毒親のトラウマで病院通い

今はほんのちょっとしか出勤出来ない

主婦だから出勤数だけならそういう人もいる

だけど主婦になったのも本当は生きるために選んだんじゃないかと気付いちゃった

良い旦那を騙してるみたいでまた自己嫌悪

 

どう頑張っても自己嫌悪と過去から逃げられない

能動的に死へと向かうことはしばらくないだろうけど気持ちはずっと終わってる

人生もう終わってる

 

愚痴でした

両親の葬式を妄想する日がある

心のざわつくニュースばかりだと感じるのは結局そういうものばかり覚えているからなのだろう

都会にイノシシも出ていれば各地で地震があったというニュースだって見たはずだ

私は忘れたいニュースばかり忘れられないだけなのだ

親が子を殺める、幼児虐待死、所謂無敵の人の親族へインタビューに向かう報道

私とは関係ない、私が意見する必要もない事なのに心を掻き乱す

 

例えば私が無敵の人になったとして、世間に映る私の両親は平凡なものであろう

目に見える虐待をされた事はない、貧困だった訳でもない

平凡な家庭から何故、と世間は思うまでもなく狂った犯罪者だと事件を片付けるだろう

 

私の家庭は父が無関心、母はヒステリーという割とよくあるものだった

父は理由がわからないところで狂ったようにしばしば怒鳴り、母は呆れていた

母に意見は通用しなかった、何もかも屁理屈だと一蹴された

私は小学生の頃まで親の機嫌を伺っていたが反抗期と共に引きこもりがちになり、たまに泣き喚き、人間を捨てたように怒りに身を任せた

母は私が目の前で脚を切っても悲しみもしなかった

今となっては滑稽なものだ

家を出るまでの不満などいくら書いても足りないので割愛するが、引きこもりの私をいないもののように扱い、殊に田舎であったため周囲には気付かれないようにしたいようだった

ネグレクト、と言うには私が歳を取りすぎていたが親子の縁は切れていたように思う

とにかく、引きこもりの娘が恥ずかしく、疎ましいものだったのだ

 

その頃の私は社会というものがとてつもなく怖かった

母に「こんなんじゃ社会でやっていけない」だの「バイトすら出来ないでしょうね」だの呪いのように言われていたからだと思う

家は嫌いだったけれど外に出ることも怖くて出来なかった

 

そんな内向的で鬱屈した時に太宰ばかり読んでいた

どうしようもない私を助ける人間などいなかったためか何も知らないくせに社会も憎んでいた

小説家になるか死ぬかしか無いと思っていた

どうやって小説家になるかなんて知らない

本当はただ死にたかったのだ

死ねば社会との繋がりが残るような気がした

両親への恨みつらみを書き残して

けれど死ぬことすら実行できなかったので生きながらえて結局家を出た

一人暮らしの資金は簡単に親が出した

とにかく引きこもりの恥ずかしい娘を手放したかったのだ

社会は母が言うほどやっていけないものではなかった

それからいくぶんか経って自分で金を稼ぐようになり運良く結婚した

 

結婚生活は些細なことはあれど安定している

旦那には見捨てられない安心がある

だが思うのだ、私の血は両親から受け継いでいる

家を出て何年か経ち精神科通いになり、カウンセリングで話すことといえば家庭のトラウマばかりだ

両親から離れたい

私の中でいつまでも消えない

気まぐれに祝う誕生日とか、祝われない誕生日とか、体型や服のセンス批判とか、貴方に子育ては無理、とか、もう色々

 

機嫌も体調も悪い日は両親の片鱗が顔を出す

ヒステリーじみた態度、実行はしないが暴力への衝動

いつまでも自分を好きになれないでいる

いつまでも奥歯を噛み締めている

 

何もかもを捨てたいと思ったって何度死にたいと思っても死ねなかった私が即座に消える事はなく、嫌いな自分を忘れたフリして堕落して生きながらえている

 

いつか訪れるであろう両親の死、葬式、ああ何も関わりたくない

いやいっそのこと完璧に仕上げてやろうか

私のことを見捨てた両親へ何て言葉をかけてやろうか

 

私も母のようにヒステリーになって「地獄に堕ちろ」とか叫ぶのだろうか

 

なんてね

 

 

映画ジョーカー 感想

※極力ネタバレはしないけど、気になってて事前情報を入れたくない人は見終わってからまた来てね

 

初めて1人で映画を観に行った

映画館が家からとても近くて引っ越し当初からやってみたいな〜なんて思って早1年半以上過ぎた

こういうきっかけってノリとタイミングで実行するか否かだよね

ツイッターで話題になってて気になってた映画だったんだけど後々気持ち引きずらないかってメンタルの心配ばっかりしてたのに好奇心が勝っちゃった

何もごはん食べてなかったからホットドッグ買って(美味しかったよ)ドキドキの1人映画でした

 

以下感想

 

 

実はバッドマン詳しくなくてジョーカーカッコいいくらいの知識だったからファンからしたら邪道な見方だろうなーって申し訳なく思いながら視聴

生活弱者の心情と共感して泣いちゃうかしらと心配してたけど泣かなかった

映画の構成が素敵だなって思った

だってカメラワークが安定してて洋画によくある「今何が映ってた?」となるような激しい場面切り替えがなかったの

だけど画面に惹きつけられる

ジョーカーの表情にずっと集中してた

ツイッターで見た「ツイッタラーはジョーカーを観ても大丈夫だよツイッターで鍛えられてるから」(うろ覚えだけど)を思い出した

生活弱者も様々で、貧困だけどなんとか生活している人、周りとうまくコミュニケーションが取れている人、といったカーストがうまく描かれていたと思う

なんか、バナナのナス、バナナスって言ったら親父が泣いてキレたコピペを思い出しちゃった、唐突だけど

 

日本には見えない生活困窮者が沢山いて、それでもジョーカーは生まれないから、あーフィクションだなって思っちゃった

別にジョーカーを模した犯罪も起こらないだろうし常々それ以上に酷い犯罪は起こってるからね

欲を言えばもっと過去のこと掘り下げて欲しかったしもっと覚醒して欲しかったかな

もっとジョーカーのこと知りたいからネトフリで映画探して観てみようと思ってるところ

 

最後に

ジョーカーさん煙草ずっと吸ってるんだけどほぼシケモクか?っていうくらい短くてめちゃエモかった

鑑賞後すぐ煙草吸った!

 

おわり!

 

日記

珍しく朝目が覚めてベランダに出て日の光を浴びた。梅雨に入ってから、湿気で死ぬ日か夏のような日の2択なのでどちらもしんどいが朝日を浴びることはわるくなかった。

二の足を踏んでいた洗濯を済ませ適当に着替えて旦那とパチンコ屋に行った。4万と1000円消えた。こんなに負けるの久しぶり。まだタンス貯金もあるしこんな日もあるかというくらいの感想。

ただ負けた日の頭痛はなんかむかつく。

スーパーで買いだめして家に着いたら保存食と夕食を作った。旦那はゲームしてた。パチ屋で目疲れてるはずなのによくやるや。

ひたすら料理しているとなんだか虚しくなってくる。料理は嫌いじゃないのだけれど、脳が勝手に思い出やモヤモヤを引き出してくる。

誰のために飯作ってんだよ、とか、さっきまでわたしだって納得していた旦那の行動が目につく。

私はこれだけ頑張ってるのに、とか。

怒っている時の自己嫌悪ほど強いものは無くて、理由は明白で、怒りは自然に出て来るものだから気付くまでどうしようもないのにさ、母親と同じこと言っているんだもん。

嫌味なんて言いたくない、八つ当たりだってしたくない。だけど私の怒りはどこへやればいいのかしら。

その怒りはどうやって生まれてきたのかしら、とりあえずホットカルーア飲んで薬飲もうかなって思っているところ。

母は寂しかったのだろうな、誰にも評価されず感謝されず。可哀想な人生。

母親の感情なんて理解したくもなかった。理解したとしても好きになるとか、今まで吐かれた暴言全て許すなんて絶対しない。しないけど。

いつまで囚われるんだろう。母親、その他親族、わたしの人生に。

 

顔の話

昔の私は重度の醜形恐怖症だった。

鏡を見て思うことは「これは人間の顔なのか」「街を歩けるのだろうか」ばかり思っていた。

目の形や顔のパーツを変えたいと思う段階にすら至らなかった。

 

顔で笑いを取れる芸人が羨ましかった。私は「笑えないブス」だと思っていたし笑いを取れる顔というのは何だかんだ愛嬌があったり人を笑顔にする魅力があるから成り立つものだと思うからだ。

 

親に外見を褒められた記憶がない。親戚からは小さい頃よく「可愛い可愛い自慢してた」なんて話はよく聞いていたがそれは「(私の思い通りになる所有物としての)可愛い」だと理解していた。

話が出来るようになるとすぐ「屁理屈言うな」「素直じゃない」「可愛く産んであげられなくてごめんね(嫌味ったらしい口調)」などのことを聞き飽きるほど言われた。

 

想像の話

私はブスだと悩む女の子がいるとする。

その子は親に「可愛い可愛い」と育てられ、社会に出て男性からのウケだったり外からの反応で「ブスだ」と自覚し悩むだろう。

 

私はどうだ、社会で男性に「可愛いね〜」と言われようが(あっ社交辞令)と思ったり(穴モテか)と「可愛い」を素直に受け取ることが出来ず損をする。

まあ、分かっていながらそれでも嬉しかった時もあった、確かにあったのだけど。

 

極端な話、顔のパーツで悩むなら化粧がある、整形もある。それで幸せになれるなら肯定する。

私の問題はパーツを変えたところで幸せにはなれないのだ。

化粧に興味を持ったのも最近のことだ。

少しずつだが目に見えないところで私も幸せへと向かっている、たぶん。

 

それぞれの地獄がある、って宇垣ちゃんも言ってたし、それは本当にある。

あんまり言いたくないけれど妬まれるのが大嫌いだ。妬んで私を攻撃する程なら変わってやりたいよ。私の心は地獄だよ。心まで持って行ってくれるなら変わってあげますよ。

 

顔のコンディション悪くても外を歩けるくらいの自己肯定感は生まれてからずっと欲しかったよ。

見た目なんかのコンプレックス持ってるからといってバイトすらしない奴はやっぱり「社会不適合者」扱いだし「ダメな奴」の目で見られることも分かってる。

私は「仕事に行かなきゃ周りに迷惑かけてしまう」の死ぬほどの不安感と「こんな見た目で他人に不快感を与えないか」の二重の死ぬほどのストレスを抱えて今まで頑張って来た。

全員に分かって欲しいなんてどだい不可能なことも理解している。

だけどこれだけは自分を褒めたい。

今やっとちょっとだけ楽になったのは死ぬほどの毎日を続けてきて鬱とか諸々病気になって身体はボロボロになって、やっと周りに心配されるようになったからだ。

これを努力とは死んでも呼びたくない。

これが努力なら努力なんてしないべきだ。死に急いでいるのと同じだ。

死んだら同情する民衆は死にそうな人に対してめちゃくちゃ厳しいの知ってる。

SOS出しても「あー、かまってちゃん」「言えるんなら甘え」「みんな辛い」最早そっかーって流したくなるほど馬鹿な回答ばっかりだもん。

 

終わり良ければ全て良しって言葉もあまり好きではなくって、過程があるから終わりがあるのよ。長い長い苦痛を味わって終わりだけ良くったって、その終わりの幸せは長い苦痛と引き換えになる程の素敵なものなのだろうか?

結局は他人のモノサシで測られた「良し」なのだろう。

全然良くないからな。

貪欲に今までの分チャラに思えるほどの幸せがないと死ぬまで理不尽な世の中だって嘆くからな。