耐えられない存在の軽さ

日々の労働を認められて、一歩前に進めそうな時だとか、思い返せば結婚する時も、暗い自分の過去が押し寄せてくる

 

両親に愛されなかったという事実

私の人生の殆どを鬱状態で過ごしていたという事実

受けた教育、受けられなかった教育について

 

何もかもが私にとっては後悔でしかなく、いや、後悔といっても、過去に戻ったって正解の道は無くて

 

ああ愛されていたらどんな風に生きられただろう

元気でいられたらどんなに楽しかったろう

そこで得られる経験は、糧になったろう

そんなことがずっと私から離れない

 

私は今周りにも認めて貰えて、欲しかった普通を手に入れることが出来ている

出来ている、はずなのだ

 

なのにその事実を喜んで受け入れられていない

私はやはりドン底を生きた人間であって、根はゴミなのだと思っている

ゴミがうまく着飾っている、そんな感じだ

 

私のこの空虚に共感してくれる人もなし、そもそも意味が分からないという

私はゴミだと言えば返ってくる言葉は否定だ

それを喜ぶべきなのだろう

「私はゴミではない」と私自身の認識を改めるのが正しいのだろう

だけど、今、私の気持ちに共感してくれる優しさはどこ?

私はそれを求めてはいけないのだろうか

 

自分の過去を哀れみ泣くことはただ哀れなことなのだろうか

その哀れな過去が積み重なって今があるのだからそれは哀れではないのだろうか

マイナスかけるマイナスはプラスになれど、マイナスぷらすマイナスはいつまで経ってもマイナスだろう?

 

一歩進むことがこんなに辛いことを誰も理解していない

私の重たい人生まるっと覆い被さってくるもんだ

人生は重たいが私の価値なんか軽いもんだ

こんなに辛い一歩を進めど人生はさほど開きもせず