春は死にたくなる
理性はいつも暗い顔している。本能の方がよっぽど穏やかで可愛い奴だ。
真面目にしようとか、仕事頑張らなきゃとか、そんな抽象的で、現実を生きるには逃げられないことなんか、わざわざ理性で決めつけなくたってなるようにしかならないのである。
問題は理性でも本能でも、求める幸福のビジョンが描けないこと、それだけだ。
現実は穏やかである。
ゆえに倦怠期、倦怠期。
彼にも倦怠期?人生そのものに倦怠期。
自分のことなのに欲しいものがよく分からず散財して、いつも満足しない。
だけど目に見えない欲求、幸福感を信じることが出来ない。
それ結局、わたしの脳内麻痺で、妄想で、存在もせず真実でもないのでしょう?
ひとりよがりを楽しめるほど自分のこともう信じられない。
わたしの女性機能は怠惰なやつで、そいつは多忙にも関わらず案外と病弱。
また病院へ行くのです。
子宮頸がん、まさかの精密検査が必要とのこと。
病気かどうか、結果が出てから彼に話そうと思ってまだ黙ってる。
わたしが癌になるなんてそんなドラマみたいなこと絶対に無いけれど、何かしら別の病気だったりするのかしら?
毎日身体が痛くないのなら、そのまま余生を暮らしたい。それが本望よ。
まあ、そんなことも言ってられない。
彼とお付き合いするのはとてもとても夢だったのだけれど、わたしの身体に不備が出たりした時になんだろう、報告しなきゃって思うのはちょっと気がひける。
とても家族になりたいけれど、わたしは彼を支えたいだけ、思いもよらない所で負担になりたくない。納得してない。
暖かくなるから飽和して、苦しくなってしまうの。
望む前に絶頂へ辿り着いてしまったらきっと誰しも不愉快だわ。
ここが絶頂なの?まだ先は無いの?
これ以上の希望はどこにあるの?
これから先は堕ちてゆくしかないの?
だけどこんなこと考えているから幸福になれないのだよ。
周りを見て、過去とも比べてみて、素敵になったって認めて、ほら、ほら、
それも分かってるよ、大人だもん。