ヨノナカカネ
私にとって家族とやらは八つ当たりの対象であった。反抗期という名のそれで処理された私の怒りは間違った形であってもないものとされ、ただ疎ましがられた。
大人になって今、私の八つ当たりは正当な反抗であったのかも知れないという仮説が立てられ、私はすこし救われている。
新しい家族が出来る。結婚する。旦那さんになる人は本当のお父さんだったら良かったのにって、お金はないけど私は彼の許で子供時代を過ごせたならどんな大人になっていたのだろうか夢想して悲しんでいる。
子供はまだ出来なくて、正直ちょっとほっとしている。まだ私は子供でいたい。子供の役を楽しんでいたい。犬でもいいんだけど、愛玩されたい。
子供が出来たら愛する方になってしまうから、いや、それも嫌ってことないのだけれど、生きにくいなって思ってた経験を元に、子供には生きやすいように尽力するけれど、きっと嫉妬はしてしまうだろうし、内心代わりたいなって思う日は絶対来る。
今はどんなに頭がおかしくなっても「お前のせいで」なんて彼に八つ当たりすることもない、ただ、私の問題だと処理することが出来る。狂うけれど、それはそれ。
理由というものはとても大事で、だからそれまで全部分かってて欲しいのだけれど口頭で説明するのってなかなか難しい。
大事な人なんだよ、もう家族だって思ってる。だけど私のいうそれと受け取ったあなたの感覚はたぶん違う。
はじめてコミュニケーションの限界を感じたのはもう随分と昔のことだからもう覚えていないけれど、それでもブログもツイッターもやめられないし、諦めることができない。
死にたいって思うけど死ねないならずっと何かを考えているだろうし、何かを文章にしたいって思っているのだろうなあ。
それも、ブログとかツイッターとか、エッセイにも小説にもならない。一銭にもならない手法で。
レスポンスが欲しかったりただ見てもらうだけでもいいの。自己顕示欲だって思われたってその通りなのだからしょうがない。
身体が生きるのについていかないのだよ。
ちょっと心地いい場所をやっと手に入れたのだけど、過去は取り戻せないからどうしようもないことでずっと悲しんでいる。
家族のこと、執着がすごいんだと思う。
へたに言葉なんか覚えちゃったから家庭環境地獄のような表現をするけれど、きっとこの程度の家庭なんて珍しくないよ。
でもこれはブラック企業とかとおんなじで、嫌だなあと思ってみるのはみんなだからって我慢しなくていいんだって主張していきたいの。
会社に対しても思うことは色々。
甘えんなって言われても考え方を変えたくはないよ。
労働者足りないくせに会社ってそんなもんだって言ってる場合かクソが
話はそれたけど、結局わたしは何が言いたいんだろう?
死にたいって口に出すと怒られるし悲しませたくない人だけが悲しんでしまうから死にたいって言葉に力はないよ。
言いたいだけだろってそんなこともないんだけど、ぱたりと寿命が来ないからねしょうがないね